本質を求めて(THE 2008年2月14日号)

Soul searching

「人文科学が危機に瀕している。ただつまらないと、同僚からも一般の知識人からも軽くみられるようになった」とスタンフォード大学で英文学・比較文学を教えていたマージョリ・パーロフ名誉教授は述べた。伝統的に正統派科目であった人文科学だが、現代においては求められているものとのバランスがとれず、時代遅れの価値がないものだと、外部の人間だけでなく、人文科学研究者自身も思い始めている。

問題は、「読む価値のあるもの」が決められており、そしてこれらの勉強こそが価値あるものなのだとするエリート主義と文化帝国主義が存在することである。不公平に認められない作品に対する学生のアクセスに制限をかけてしまうなど、少数派を除外することによりヒエラルキーを守り続けようとしているのだ。

しかしながら一方で、人文科学に対し肯定的な意見も聞かれる。たとえば今日の諸問題は歴史に関する無知ゆえに起こっているとして憤りを感じている市民たちが、政治的運動を起こしていることも事実である。このことに関し「本当に無意味なものなどないのだ」と歴史学者たちは満足している。また自分たちは、学生がより思慮深く批判的な、ある意味でのよい市民となるサポートをしていると信じている研究者も多くいる。

「人文科学における学びは、静的で受け身なものではない。私たちが読み、考え、書くことで変化が生まれるのである」とサセックス大学のアンバー・ジェイコブス氏は言う。

人文科学を学びたい学生の数は減らない。本当の「危機」は、人文科学、その科目自体の重要さと、学生の人生に与える良い影響、それら双方の価値を学者たちが説得力のある主張で伝えることができるかどうかである。

(要訳:OFIASインターン 山下 梨江)